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2015年1月25日日曜日

踊れない踊りを踊りたい

「いつも決めるんですけどね、守れた試しがないんです。
ここはこうしよう、きっとああしよう、そうやって思うだけならば楽なんですがね、
いざやろうってなると、それで、どうにも何故か上手く行かない」

男の薄い唇から、囁くような声と共に、幽かな煙が零れている。
黒々と暗いヴェランダに月は無く、ただほんの僅かに漏れ出したダンスホールの光の端で、
辛うじて男の輪郭だけが、そっと浮かび上がっていた。
手摺に背を預ける様にして、だらしなく笑う男の傍で、女はゆっくりと目を閉じる。
頬に当たる夜風は冷たく、泣きたい程に澄んでいた。


「僕はねえ、臆病なんです。
失敗してしまうよりも、成功できることの方が、ずっと怖くて堪らない」

一際大きな歓声が上がり、囃し立てるような指笛が鳴った。ミドル・テンポのジャズが、
やや走りがちに流れ出す。いっちと、にっと、さんっと、し、いっちと、にっと、さんっと、し。
ダンスホールの真ん中で、何も考えられないほどに愛し合っている二人が、
きっとその手を強く握って、踊り狂っているのだろう。
丸くカットされたダイアモンドのような目玉に、互いの綺麗な恋を映して。

男はそっと伏し目がちに、女の顔を盗み見た。
きつく噛み締められて変色した唇と、柔らかな女の頬の内側のことを思った。
けれど今、暗闇の中で分かるのは、そっと閉じられた女の薄い瞼だけ。


一際強い風が吹いて、木々の葉音が大きく響いた。
男が右手に持っていたままの煙草は、既に短くなっていて、今にもその火は潰えそうだった。


女が乱れを整えようと、小さな指で髪を梳いた。
肌蹴てしまったショールから、嗅ぎ慣れたコロンの香りが漂う。

激しい風が止み、僅かに訪れた静けさの中で、男はそっと呟いた。


「あなたがどうか、決めてください。僕の提案は、いつだって駄目になってしまうから。
僕らふたりがこのままどこまで、なにをどうやって生きて死ぬのか、
あなたがどうか、決めてください」


もう一度、鋭い夜風が吹いた。女のドレスの裾から、衣擦れの音が幽かに聞こえた。


振り向いた女の眼や口元など、この暗がりの中では良く見える筈も無い。
それを見越した上での狡さだった。
互いの腹を探る様な真似は、明るい世界でしたくない。誰だってそうだろう、
そう思いながら男は左回りに身を捩り、手摺に胸からしな垂れ掛かる。
冷たく固い感触に、少しだけ喉がきゅっ、とした。

その感覚を振り切るように、男は勢いを付けて顔を上げた。
左の頬に、問いかけるような目線が刺さる。

女は、ずっと男を見ていたのだ。ずっと傍で男を見ていた。

暗がりでは何も見えない、男はそう信じていた。
けれども、女の眼差しはレーザーの様に、闇の中でも迷わない。


その眼差しを跳ね返そうと、男は覚悟を決めて振り向いた。
真暗闇に覆われて、何も見えない筈だった。

しかし、その時、本当に何故かその時になって、暗闇のヴェランダに一枚の光が投げられた。
同時に、男と女の足元から、浮かれきった若い声と、エンジン音が鳴り響く。
馬鹿げたパーティを抜け出して、どこか遠くに行くのだろう。
じゃれ付くようなパッシング音に、忍び笑いが重なった。


車から容赦なく届くヘッドライトの明かりは、ヴェランダの上まで刺さっている。
まるで舞台照明のように、その眩しさが二人を照らしていた。


強い光のなかで、男はただ立ち尽くす。
こちらを一心に見つめる女の眼。
そこに映された自身の顔。
全身に甘い痺れが走る。

男も、女と同じ眼をしていたのだ。
丸くカットされた、この世に二組ずつだけの、ダイアモンドみたいに綺麗で、
どうしようもなく、馬鹿な眼。

だから嫌だったのだ、暗がりの外で話すのは。
頭の悪い強がりも、張りぼてのような虚しい見栄も、意味がない。
ここでは何も隠せない。


硝子張りのドアの向こうでは、変わらず誰もが騒いでいる。
グラスが鳴らす乾杯の音。沢山の靴が踊る音。バンドの音。
それも、ここには届かない。


ヴェランダには、息の止まるような、静かな一瞬が永遠に流れている。
吹きつける風の中で、男はゆっくりと眼を閉じ、そして開いた。
照らし出された何もかもが、光で白く縁取られている。


女の、きらきらとした柔らかい髪に、風で飛ばされて来たのだろうか、
名前も解からない、美しい花が咲いている。
男はゆっくりと腕を伸ばし、優しく女の髪に触れると、その花をそっと手に取った。
そして、消えかけていた煙草の火を、静かに花へと移してゆく。



「抜け出そうか」と男は言った。
花はめらめらと燃えている。












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