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2019年5月22日水曜日

肩に小鳥が留まったら

 
 もしかして。
 頭に浮かんだ一つの可能性が、僕を桜桃色に染めてゆく。
 まさか。いや、どうして、ほんとに?

 駄目だ。ちゃんと考えなくては。
 もう一度、シーンの初めから思い出そう。




 先ほどまで、僕は電車に乗っていた。校外学習の帰りで、たまたま同じ電車になって、彼女の隣に座っていた。一日中歩き回ったせいで僕も彼女もクタクタで、終点までの二十七分間が長くて長くてしょうがなかった。話題も、気力も尽きそうだった。
 あと五駅ほどのところで、僕らは黙った。ただぼうっと、窓の外を通り過ぎるビルと斜陽を眺めながら、僕は「どさくさに紛れて、彼女の写真を撮っておけばよかった」なんて悔いていた。ちらりと彼女を盗み見ると、元々細い眼をもっと線にして、眠たそうに正面を向いていた。
 そう。あと四駅というところだった。左肩に僅かな重みを感じたのは。

 何が起きたか分からなかった。そんな、漫画みたいな経験をするなんて、誰が想像できただろう? 僕の左側に座っているのは、彼女だけ。一番端の、ドアの真横の座席に彼女。その隣に僕。隙間。隙間。親子。隙間。
 安直な表現のようだけど、確かに時が止まった。息も止まったし、心臓もたぶん、止まった。
 左下には彼女の髪が見えた。少しだけ甘い匂いがして、それを理解してから急速に僕の全てが作動した。汗腺、動脈、瞳孔。
 彼女が、僕に凭れ掛かって眠っている! あの、つれなくて冷たくて素っ気無い彼女が、僕に!

 見たい。ちゃんと見て、脳裏に焼き付けたい。そんな思いに一瞬支配されそうになったけど、ギリギリのところで踏みとどまった。いま少しでも動いたら、彼女は起きてしまうかもしれない。どうせ十分も経たずに終点に着く。それまで休ませてあげよう。別に、この時間が一秒でも長く続けばいいとか、そういうことが理由じゃない。決して、そうじゃない。
 それから僕は、彼女の安らぎを守る為の騎士となった。真っ直ぐに前を向いて、リュックの中も探らず、前髪を弄りもせず、一定のテンポで静かに呼吸を繰り返した。車内に入り込むゴールデンイエローが、吊り広告をテカテカに反射させて、文字を光色で掻き消していた。音も不思議と遠くなって、世界に二人きりだと錯覚してしまいそうだった。

幸せな時間はあっという間に過ぎて、電光板に終点の文字が浮かび、アナウンスが「ご乗車ありがとうございました」と丁寧なお礼の言葉を告げる。あと一分もせずに、電車はホームへと入ってゆくだろう。そろそろ、彼女を起こした方が良いだろうか。いや、終点だし、着いてから起こしても大丈夫かな。決心がつかず、背筋を伸ばしたまま一人で百面相をしていると、急に肩が軽くなり、その拍子に再び甘さが漂う。
「お、起きた?」
 思わず声が裏返ってしまったが、目を擦る彼女はまだ寝ぼけているのか、返事が無い。
「次、終点だよ」
 とりあえず、それだけは伝えようと声を掛ける。
 すると彼女は、まるで『1+2=3』であるかのように、さも当然といった風に。

「知ってる」
 はっきりとそう言った。

 ゆっくりと電車が停止する。ドアが開き、彼女が鞄を持って立ち上がる。慌てて僕もリュックを背負うと彼女に続いた。

「じゃ、私、あっちだから」
 普段と変わらない調子で、彼女はあっさりと去ってゆく。僕は彼女の後姿を見つめながら、何も言えずに立ち尽くした。


 そう、そうなのだ。
 彼女が起きた時には、終点のアナウンスは流れてなかった筈なのだ。
 なのに。


「起きてたの?」


 やっと探り当てた答えが、大きな声になって僕の口から飛び出した。
 頬が火照って堪らない。


 一人きりのホームで、僕はへなへなとしゃがみ込む。
 熱はしばらく引きそうになかった。









(誰だって花と実のなる木になるさ 肩に小鳥が留まったら)




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